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国内バイリンガルへの子育て、毎日の英語インプット

国内バイリンガルへの子育て !

国内にいながら、お子さんを英語と日本語のバイリンガルに育てた先輩ママにその体験談をお聞きしました。


 
富澤美幸さん プロフィール
 
ご家族 夫と2人の息子の4人家族、ご両親と同居
経 歴 大学卒業後航空会社に勤務、結婚と同時に専業主婦に。ISS国際交流センター主催の留学フェアにプレゼンターとして登壇。
長男R君 国際クラスのある私立中高一貫共学校からオーストラリアタスマニア州立ホバートカレッジに転校、現在高校2年生
次男Y君 国際クラスのある新設された私立中高一貫校、 現在中学1年生


お子さまに英語力をと思ったきっかけは?


自分の英会話に対するコンプレックスからです。
私は私立中学に入学しましたが、最初の英語の授業で、「今まで英語を習ったことがある人?」という先生の質問に対してほとんど全ての人が手を挙げるのを見て、「ABC?何? まずい、私もう落ちこぼれている!」と何も知らない自分に落胆しました。何とかしなくては恥ずかしいと思い必死に予習と復習を頑張ったら、最初の英語テストの成績が学年で一番だったのです。一番になると英語も好きになりました。勉強すれば一番になるからそれからも成績が落ちないように勉強を続けました。リスニングは苦手でした。でも、リスニングができなくても英語のテストの成績は他で十分カバーできるのでそれでいいやと思っていたのですね。

結果、大学は外国語学部英語学科に入学しました。大学に通い始めると、半数以上が帰国子女。今までと全く違う英語の世界が待っていました。みんなペラペラ英語で会話ができるのです。ネイティブな人達に囲まれ会話ができないことがとても苦痛でした。先生からも指されない事を願い、いつも下を向く生徒に。ダメダメですね。その時初めて「英語って会話できないと楽しくない。」と本当に実感したのです。

ゼミでは「ジョークから海外の文化を学ぶ」というテーマで、面白いパロディー映画を沢山観てそこから話を膨らませディスカッションするというようなことをしていましたが、ついていくのに必死でした。英語力もさることながら、住んだ経験のある人にしか分からないような背景を皆が話し出し、ついていけない私はいつも先生から Do you understand? と心配されていました。ああ、みんなの会話に入り込めたらどんなに幸せか! 将来自分に子どもができた時には絶対に英語が話せて楽しめるようにと思いました。文法などの勉強は後からついてきますが、音を聞いたり発話したりするのは、時間のある子どもの頃から英語のシャワーをたっぷり浴びないとダメなのだと強く感じたのです。

 

お子さまが生まれてどのようにされましたか?


長男のRが生後4ヶ月の時にデイズニーワールドイングリッシュ(DWE)の英語教材を見せたらとても喜び、「すごく楽しそう!」と、購入は即決でした。初めての子どもだったからというのもあって勝手に母がエキサイトしてしまったようです。(笑)それから教材の英語CDをずっと聞かせていました。つまり英語のインプットですね。

毎日の離乳食の時に必ずCDを聞かせ、寝る時は睡眠学習のようにCDを最後まで流しっ放しにしました。途中で止めたりするのも面倒だったので。(笑) 旅行する時も車の中でCDを聞かせていましたが、日本人の心も育まねばという思いがあり、行きが英語なら帰りは日本の童謡を聞かせるといったこともしました。その他には気が向いたときに聞かせていたので、毎日少なくとも5時間以上は英語をインプットしていたことになると思います。それを4歳ぐらいまで続け、聞かせない日はありませんでした。必ず聞かせなければならないというより、毎日楽しく気が向いたときにという感覚でしたから、毎日たくさんのインプットを継続できたのだと思います。

6ヶ月を過ぎたころから英語DVDも観るようになりました。食事の支度をしている間にDVDを流すと喜んで観ているので、支度が終わるまでの間、DVDを2,3巡ぐらい、同じものを繰り返し観ていました。私も食事の支度に集中でき一石二鳥。子どもが少し大きくなり、自分でDVDを操作できるようになってからは、Rの好きなようにさせておいたところ、1つのDVDが全て頭に入るまで、同じものを何度も繰り返し観ていました。また、英語の絵本を沢山置いておきました。読めなくても、意味が分からなくても、発音できなくても、英語の環境を与えたかったからなのですが、楽しそうに絵本をみていましたよ。日本語もきちんとしたかったので必ず毎日寝る前に日本語の絵本の読み聞かせをました。英語に関しては、変な音を入れたくなかったので、一緒に英語教材で遊んでいても私の口からは絶対に英語を発音せず、CDとかネイティブの人の発音のみを耳に入れるようにしました。発音しないでいっしょに音楽にあわせて踊って楽しみ、他人から見たらかなり間抜けでしたね。(笑)

しかし、アルファベットだけは私が教えました。お風呂の壁にABCシートを貼付けたり、ランチョンマットを可愛いアルファベットのものにして。1歳ぐらいからアルファベットを指すようになったので、指された文字を読んであげていました。食事の前などに、遊び感覚で何度もそのやり取りをしました。半年続けた頃、“C”とか“A”とか、私の方からアルファベット言ってみたところ、正しいアルファベットを指すので嬉しくなりました。この頃から、これまでインプットしてきたものをアウトプットできる場所を探し始めました。2歳を過ぎた頃、英会話教室のMLSに行ってみました。親子でするので先生からの英語での話かけが極端に少なく、私の方針にはあいませんでした。次にもう一つ駅近くにあるイーオンに行ってみました。そこでは、日本人のバイリンガルの先生が「あれも分かっているのか!これも分かっているのか!」といった驚きと楽しみでRとの英語遊びを楽しんでくださいました。そのプライベートクラスに週に1回、年長さんになるまで通いました。もちろん、DWEでの英語のシャワーを家では続けていました。

3歳の頃には文字も読めるようになり、「この子はどこまで知っているのかしら?ワクワクする~!」と、先生は教材を超えてどんどん英語量を増やしてくださいました。日本人のバイリンガルの先生でしたが発音もきれいでRにぴったりの先生でした。本当に感謝しています。

 

小学生になってからは・・・


小学生になり、昼間に英語を聞かせる事はできなくなりましたが、睡眠学習スタイルは途中から歌からストーリーに変えたりして小5ぐらいまで続けました。また英会話教室もプライベートクラスからネイティブの先生のグループレッスンにかえたところ、そのネイティブの先生から英検5級受験を勧められ、1年生の12月からアミティの英検クラスに通い始めました。発音はジャパニーズ英語の先生でしたが、Rの中に既にネイティブな発音が入っているので今から発音が悪くなる事はないという自信があり気になりませんでした。

最初は5級の問題文を読めませんでしたが、読むコツを習い始めてからは進歩が早く、1カ月で5級は完成、小2で4級3級、小3で準2級に合格しました。4年生に2級を受けましたが準2級から2級へのレベル差は大きく落ちてしまいました。中学受験があるので、5年生から英検からは離れ中学で再開することにしました。
Rは、このアミティの先生ととても仲良くなり、先生がアメリカに帰国されると、受験がおわったら遊びにいくと約束してメールで色々やり取りしていました。この出会いも、Rの英語力にますます磨きをかけていったと感じています。

 

中学生になってから学校生活はいかがでしたか?


中学は私立中高一貫校のインターナショナルクラスに入学しました。Rの第一希望の学校です。
このインターナショナルクラスは、Rが所属するスタンダードグループ18名とアドバンスグループ27名に分かれていました。スタンダードは英語を身に着けたい本当にゼロベースの子たちが中心で、アドバンスは帰国子女で英語ペラペラの子たちが中心。Rは中1の秋に英検2級に合格し、スタンダードとアドバンスのちょうど真ん中ぐらいの実力だったようです。先生からは、スタンダードの子がRを目指し、アドバンスの子がRに追われる良いプレッシャーを感じるので、是非とも英検準1級を目指して欲しいと言われ、中1の1月から準1級を受けることにしました。英検2級と準1級の差はとても大きいですね。毎回受け、やっと高1の10月に合格できました。

しかし、中学から英検のための勉強はしたことがありません。普通にできるだけたくさん英語の音にふれるようにして、インターナショナルクラスでの課題をきちんと勉強することを続け、その結果としてどのくらいのレベルになっているか確認するためだけの英検です。高1で受けたTOEICが765点でした。準1級はTOEIC 750点前後と言われていますので、あくまでも対策をして点数をとるということではなく真の使える英語をめざした結果、実力がそこまでついてきたということを実感しました。その他、弁論大会などにも参加しましたが、日本の歴史ある大会だと日本人的な言い回しやテーマが好まれているようで、フィードバックをもらえる大会では、ネイティブの審査員からはとても高い評価をうけるのですが、日本人の審査員からは中学生らしくないとのコメントが多かったのです。これであきらめずに真の使える英語に進んでいったことがよかったようです。これらのことを親として体験し、日本の教育制度は真に使える英語の環境というのはまだまだなのだなあとただ単に痛感しました。

Rは、高校生にもなると親と一緒の旅行も嫌がり、おもいきって高1の夏休みにオーストラリアに約4週間の短期留学を許しました。

高校の友達は5年、10年と長い間海外生活をしていた帰国生たちで、海外での暮らしのベースがあった上で海外の大学を目指しているのですが、Rにはそのベースがないので、ネイティブの暮らしはどういうものか体験することが一番の目的でした。ベストタイミングだったのでしょう。完全にネイティブの生活にはまり、「オーストラリアの高校にいきたい!」と。その言葉を母である私は予想していたのだと思います。それから留学センターなどを色々調べ、半年も経たない翌1月にオーストラリアタスマニアの高校に転校することを親子で決めていました。オーストラリアは2月が学年の始まり、転校するにはとてもよい時期で、現在は海外の大学への進学を目指し充実した高校留学生活を過ごしているようです。

 

次男のY君への英語教育はどうでしたか?

 

Yにも生まれた時からDWEを聞かせていましたが、お母さんと一緒のほうが好きでした。英語は、どうしても長男のRと比べてしまい、先生からも、「R君と比べるのはかわいそう。他の子と比べるとできるほうですよ。」と言われていました。その時は、Rほど英語に興味を示さないのでここまで兄弟で違うのかと思いました。Yはぜんそくをもっていて、調子が悪い時に「英語のレッスン休もうか?」と聞くと、喜んで「うん。」と言っていたので、英語はあまり好きではないのかなと勝手に考えていました。だから英語のインプットは夜寝るときの1時間ほどだけ、兄のRに比べ極端に減ってしまいました。
 

ところが、中1の夏に以前家族で行ったアメリカのお家に一人でホームステイすることになり、帰って来ると、「僕、もっと英語やりたい」と言ってきたのでびっくりしました。Yへの英語の直接のインプットは少なかったですが、家での英語への取り組みから影響は大きかったのだなと感じています。リスニングや発音はどうなのかな?と思っていましたが。兄が家で取り組んでいたのを横で聞いていてかなりインプットはされていたようでした。学校からの英語の課題2つを、米国のホームステイするお母さんに毎日やってもらうことをお願いしました。約10日間です。1つは、324個の英単語を覚える宿題。毎日、単語をネイティブの発音でリピートしていたそうです。書くのは2の次、まず読んで聞いて発音することを徹底したそうです。結果は321点。学年でなんと3番でした。

2つめはレシテーション(暗唱)でした。RとLの発音がうまくできないので毎日特訓しているとメールがきました。パラグラフが6つぐらいでA4サイズ1 枚ぐらいの量です。帰国後学校でその発表会がありました。なんと70人中のベスト6に選ばれたのです。ベスト3には選ばれなかったのですが、帰宅したらすごく悔しがって、次はもっと練習するって、そんな言葉今まであまり聞かない子だったので、その成長にびっくりしました。後になってクラスの友達のお母さんや先生から聞いたのですが、クラスのみんなも夏休み後のYの変化にとても驚いていたそうです。

 

日本にいながらの英語子育てを振り返ってみるといかがですか?


継続するためには、親が楽しんで続けることが大切だと思いました。夫は英語が大の苦手でしたから、母親の私が楽しんだのがよかったと思います。とにかく量を聞かせて無理なレッスンなどしないでいいのだということです。

兄の環境があったので弟にもそれなりに耳に入っていたということが中学生になって実感できました。そしてその時々のタイミングを逃さない、親はチャレンジさせる決断をすることも大事だと思いました。ゴールデンエイジ(0~10歳ぐらいまで)にどれだけインプットするかが大事だと自分の経験から強く思いました。反省点としては次男のときに、この子は合わないのかなあと私が思ってしまったことです。もう少し英語の音楽やDVDが好きになるように仕向けることに工夫をすればよかったなあと今思っています。

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